この写真は、1946年7月のビキニ環礁でのベーカー実験と呼ばれる水中核爆発実験の写真だ。
こんなに恐ろしい光景があるだろうか?
およそ79年前のことだ。
このCNNの記事の見出しは、
「この80年間で、2,000発を超える核兵器が爆発。その爪痕は今もなお、世界各地に存在している」
というもの。
2000発!
想像を絶する凄さだ。
この実験からおよそ80年経った現在の戦略弾頭クラスは、空中爆発300キロトンの威力があるという。
東京駅から15Km圏内(千葉県浦安、三鷹市、武蔵野市、埼玉県川口市・・・)が甚大〜重規模の被害を受ける。
人はなぜ人を殺し、ものを破壊する爆弾を作り続けるのか・・・
「相手が核を持つなら、自分も持たなければ抑止できない」
「相手に攻撃させないために作る」という矛盾した安全保障の構図が
科学者たちに研究を急がせ、結果的に人類に強大すぎる武器を与えてしまった。
「核保有国=大国」という構図が定着したため、国家の威信や抑止力として作り続けられる。
長崎に生まれ育ったものには、原爆という悲しい歴史の存在が染み付いている。
この度、被爆2世の友人から声をかけていただいた「世界につながる平和活動とは」
というパネルディスカッションはとても意義深く、パネラーの方々全員真摯に平和のために活動をしておられ
全ての参加者がいろいろと平和について考えた時間だったと思う。
最後の質疑応答の時に、私の前に座っていたアメリカ人の女性が涙ながらに
「私はニューメキシコ州ロスアラモスの出身で、父は原子爆弾を設計した科学者の一人、祖父はアメリカ海兵隊員で真珠湾攻撃の後に、日本と戦った。そして今私はここ長崎で被爆者と共にいる・・・」
そこにいた一同が、息を呑んだ瞬間だった。
86歳の被爆者の本村チヨコさんは、思わずそのアメリカ人女性のもとに駆け寄りハグしたのでした。
国籍も世代も超えて、涙とハグでつながったあの瞬間。
そこにこそ、平和への道の入り口があると信じたい
長崎に生きる私が見たのは、立場を超えて、
人と人とが心で結ばれる場面だった。
だからこそ、平和は必ず築ける、と信じている。