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Translator’s headache 翻訳者の苦悩
2012年6月14日
Miwako's EYE
以前にも話に出ましたが、現在長崎出身の内田九一という幕末明治の写真師が興した大阪の内田写真の創業140年社史の編纂が進行中で、東京大学大学院との共同作業で私は英訳を担当しています。
これは内田写真の関東総合営業部長の方と7〜8年前にアメリカのNew Orleansで偶然出会ったことからの縁で、過去5〜6年毎年梅田のギャラリー展示の古写真の翻訳を担当させていただいています。
長崎大学の幕末明治の古写真も何千点も翻訳を担当させていただきましたが、ときどき翻訳者泣かせの表現が出て来ます。まあ時間があればじっくりリサーチができてなんということはないんでしょうが、なにせいつも超多忙な私はリサーチする時間を取るのが大変です。でも原稿を読むのは楽しく、江戸文学が好きな私は古写真を見るのも興味深く私の頭の中は当時の情景に思いが飛ぶのです。
今日の翻訳では、「北陸道鎮撫総督参謀」「長州藩蔵元中元」「旗本小普請組」「徴士参与職」などのところで、むむむっ〜!とキーボードを打つ手が止まってしまったのでした。
こういう現在ない職をどう扱うかということですが、まずはインターネットで検索しまくり、その人物の来歴をwikiやその他の記事から拾い、その後に実際の執筆者にこの訳でよいだろうかと問い合わせます。全くわからない場合は、「この訳どうしましょうか?」とアドバイスを求めます。そのまま日本語で通す場合もありますが、その際は内容説明の英語を入れることもありますが、製本の字数の関係から省くこともあり、執筆者に問い合わせなければなりません。
例えば先日やった「旧江戸城二ノ丸東三重櫓」の説明文に「・・十万石以下の大名が登城する際には、・・・」というくだりがあったのですが、この「十万石以下の大名」は’Daimyo lords with incomes of 100,000 koku of rice per year’ この’koku’をまた説明するフレーズを入れるかどうかは今問い合わせ中です。
その他に翻訳していてやっかいなのが、普通の文章であってもはっきり状況が把握できない場合。たとえば、「その後も小学校創立、桟橋構築など多方面で活躍・・・」など日本語で読む分にはなんら不都合はないのですが、翻訳者は名詞に関しては必ず単数・複数の確認をしなければならないので、how many schools, or how many piers did he build? と心の中で自身に問い、もちろんその人のことを検索して調べますが、桟橋をいくつ作ったというような情報は通常調べても載っていないので、また執筆者に尋ねるということになります。
その他漢字の読みなど現在ない地名や、有名な人の遠い親戚の誰それの名前など、資料がない場合などは本当に大変です。それこそその地の役所や宮内庁、お寺や神社など電話をかけまくります。答えが出る場合もあり、出ない場合もあります。執筆者に問い合わせても、「その読みはいろいろと説があって定かではないので・・・」ということもあり、です。
ということで、なかなかスムーズというわけではないですが、日本の歴史を学び、過去の偉人たちの業績に感動しながら翻訳業務にもいそしんでいる今日この頃の私です。

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